東京工芸大学 杉並アニメーションミュージアム新館長に聞く

2005年のオープン以来、杉並の観光拠点のひとつとして多くの来訪者を受け入れてきた東京工芸大学 杉並アニメーションミュージアム(以下、SAM)。この度SAMでは、2021年4月1日の新年度の節目に、元株式会社トムス・エンタテインメントの一員として、長らくアニメ業界の発展に貢献してきた吉田力雄さんを館長に迎えます。今回はこの吉田新館長の就任を記念して、抱負やビジョン、SAMのこれからについて、お話を伺いました。

キャリアを振り返って

―本日はお忙しいところありがとうございます。早速ですが、まずは自己紹介を兼ねてご自身の業界でのキャリアなどについてお話いただけますか。

吉田:1978年(昭和53年)4月に株式会社トムス・エンタテイメント(以下、トムス)、以前の株式会社東京ムービー(以下、東京ムービー)に演出助手として入社して、TVシリーズ『新・巨人の星』から制作を担当しました。その後、宮崎駿さんの『ルパン三世 カリオストロの城』の制作に入り、最後まで仕上げています。東京ムービーは途中、国内作品の制作をやめて、他社に先がけてディズニー作品をはじめ、イタリア、フランスとの海外共同製作(合作)を5年ぐらい制作していた時期があったのですね。私は、海外発注のため、現地マネージャーとして台湾(TMS-TAIPEI)と韓国(TMS-SEOUL)に駐在していました。その後、やはり国内作品を、ということで着手したのが、TVシリーズ『それいけ!アンパンマン』です。その頃、私は制作から営業に移りましたが、時が経ち、代表的な作品であるルパン三世は50年目、アンパンマンは33年目となり、同じく制作に関わった名探偵コナンも25年目。先月、放送1000話となりました。

―誰もが知っている作品ばかりです。

吉田:それから劇場版『それいけ!アンパンマン』『名探偵コナン』『ルパン三世VS名探偵コナン』の製作委員会に参加しました。それ以外にも多くの委員会に参加して、著作権や印税方式などを管理する業務とライセンス事業を担当しましたね。2000年頃、デジタル制作とともに映像メディアの変化に伴い、フィルム原版のリマスターを作って将来のメディアに備える作業も始めました。鈴木名誉館長が監督された初回『パーマン』は、東京ムービーでは白黒、その後シンエイ動画㈱がカラー版を制作したのですが、そうした55年前のフィルム原版の状態をチェックしたりするわけです。アーカイブという言葉にまだ馴染みがありませんでしたが、現在は、アーカイブの専門部署も設置されて人材育成もしています。

―様々な部署におられたのですね。

吉田:そんなところです。アニメ制作に関わるほとんどの事業を担当し、2020年3月、トムスを卒業しました。
一方で、2008年から、一般社団法人日本動画協会(以下、日本動画協会)の理事も務めました。常務理事、副理事長を経て、こちらも2020年6月に退任しています。また、CODA(コンテンツ海外流通促進機構)の理事にも就任し、そこでは海賊版商品や違法動画の取締りがメインでした。あとは京まふ(京都国際マンガ・アニメフェア)実行委員会委員を7年間歴任し、昨年退任しました。今年十回目となり、昨年はリモートとリアルのハイブリッドで開催し、コロナ禍のイベント開催の参考になったのではないかと思います。委員会としては、アニメーション制作における下請適正取引対応委員長、働き方改革検討委員会を立ち上げ、制作プロダクションの環境及び地位向上に努めました。

―非常に多岐に渡るご活躍を。

吉田:あとは2017年に『アニメNEXT_100』という「日本のアニメ100周年プロジェクト」がありまして、その中で「日本のアニメ大全」の統括プロデューサーを担当しました。また同じ年に、トムスが中心となり、㈱アニプレックス、エイベックスピクチャーズ㈱、㈱サンライズ、東映アニメーション㈱、日本アニメーション㈱、㈱ぴえろの7社の制作会社が作る「アニメフィルムフェスティバル東京」を立ち上げ、2019年まで3年間、統括ディレクターとして関わっています。翌年の2018年には、環境省から地球の温暖化の啓発アニメーションのお話があり、『ガラスの地球を救え!』というプロジェクトとして、2本のアニメーションを制作統括しました。そして2020年は、「日本のアニメ大全」の集大成として『にっぽんアニメ創世記』(集英社刊)というのを発刊しましたね。

―本当に幅広い。いろいろなプロジェクトに携わられたのですね。

吉田:この辺りが大体、日本動画協会で活動してきたことです。現在は、「三鷹の森ジブリ美術館」を運営・管理する徳間記念アニメーション文化財団の評議委員に就任しております。

杉並での思い出

―杉並との関わりというのは如何ですか?東京ムービーに入社されたとき、本社は成田東にありました。

吉田:大学は日本大学芸術学部だったのですが、進学のタイミングで千葉県から上京し、上高井戸のアパートから通学していました。その当時のアルバイト先も高井戸駅のすぐそばのイタリアンレストランでした。結婚してからは浜田山に住んでいます。

―お住まいも杉並なのですね。

吉田:東京ムービーは1964年に、TBSの中に撮影台を持ち込んで作られた会社と聞いています。これは話すと3時間ぐらいかかりますが(笑)、そこが手狭になったので翌年1965年に成田東に移転しました。そこで、杉並区第1号のTVアニメの放送となったのが『オバケのQ太郎』です。1964年というと東京オリンピック開催の年、それこそ『ALWAYS 三丁目の夕日』三部作の世界です。1年延期となりましたが、2度目の東京オリンピックの年に館長就任となり感慨深いものがあります。

―成田東には高井戸から通勤されていたのですか?

吉田:浜田山からです。通勤と言うか、電車だと南阿佐ケ谷駅か阿佐ケ谷駅に出てそこから歩くことになるのですが、家から歩いた方が早かったですね。今は、「すぎ丸」というコミュニティバスが走っているルートと全く同じです。鎌倉街道一本です。

―その頃の思い出はありますか?

吉田:
東京ムービーの前に小さな公園がありまして、昼休みにキャッチボールをしたり、バレーボールをしたりしていた思い出があります。隣の阿佐ヶ谷住宅のガラスを割ってしまったり、いろいろ(笑)。原画、動画、仕上、背景の回収待ちで徹夜になることもありました。今は働き方改革で、待ち時間など課題になっていますが、その頃は、夜中に阿佐ヶ谷住宅の周りをマラソンしたり、キャッチボールをして待ち時間を過ごしました。

―夜中にですか?今それをやったら通報されますよね(笑)。

吉田:確かに。でも、忙しくて辛いとかそういうのはなかったですね。楽しかったですよ。当時は、残業代に合わせて、近所の飲食店の食券の支給があり、1ヶ月間賄えました。まさに食券乱用(職権濫用)の時代でした。

―おやじギャグまで、ありがとうございます(笑)。

吉田:近所の5軒くらいの食堂と提携していましたね。あとは善福寺川が氾濫しちゃったこともありました。当時は、一般住居の3階建ての居ぬきビルで、本社の倉庫に一部のフィルム原板を置いていたんですが、1階が水浸しになってしまった。朝に行ったらもう膝ぐらいまで水が入ってきていて…。

―水に浸ってしまったらもう…

吉田:そう、原版を水から上げて、現像所に運んで洗浄してもらいました。そういえば、僕の制作室には床の間もありましたね。仏壇があったみたいな場所も。そういう社屋でした。

―貴重なお話です。

吉田:東京ムービーがそこにあったということで、関連の会社も近隣にありました。背景の㈲小林プロダクション、中杉通りにあった㈲スタジオジュニオ、杉並区役所前に㈱マッドハウス…。荻窪駅の南口から天沼陸橋の方に来ると、背景美術製作の代々木アートプランニング㈲、石垣プロダクション、作画の㈱マジックバスもありました。私が入社する前、先輩たちは自転車で上がりを回収していたそうです。

―2016年の時点で杉並にアニメの制作会社は138社あり(出典:「アニメ産業レポート2020」)、市区町村別では一番多いという話があります。

吉田:そんなにあるんですか?でも解散や統合を含めても、今でもあまり数字は変わらないでしょうね。

―今は小さい会社も増えているそうですが。それにしても、そうした歴史の中でも東京ムービーはひとつの原点ですよね。ほぼ成田東から始まっていますので。

吉田:場所的に言うとそうですね。㈱虫プロダクション、㈱タツノコプロもその時代からあるわけですから。中央線、西武線沿線、ですかね。

―そういう会社にいらした方が今回新たにSAMの館長になられる。運命というか必然というか。

吉田:まあ、ずっと杉並の住人でもありますしね。

SAMの印象/これから

―SAMのオープンは2005年です。日本動画協会に参加されていた時期かと思います。

吉田:そうですね。その頃はまだ理事にはなっていなくて、社長の代理で参加していたんですが、SAMを作ったよ、という頃に一度来たのが最初でした。

―現状のSAMに対する評価、印象、今度はそのへんのお話をお伺いしたいです。

吉田:受付の後ろに年表のケースがあるじゃないですか。よくあそこまで創ったなと思うんですが、年表が2008年までしかないんですね。あれをずらっと見られるように、何とか工夫できないかなと思っているんですけれどね。これからも作品は続くので難しい課題です。アニメーションの歴史や制作工程については、アニメーターの実際の動画机も展示され、基本的なところは抑えられていますね。あとは、もうちょっとアーカイブと言うか、今はデジタル制作なので、セルアニメーションの成果物も展示できたらいいなと思います。

―早くからアーカイブ事業に取り組まれていた吉田さんならではの発想ですね。

吉田:今回館長に就任するにあたり、お世話になった業界の方々にその旨の連絡をしたんですが、「行ったことがないので是非行ってみたい」との声が多く、知っていても来館することは少なかったようです。

―業界の中で、あまり認知度がない…。

吉田:ええ。版権担当の人はアクセスしているから知っているけれど、上層部の人は知らないんですよ。ちょっとショックでしたね。今の若い世代はセルアニメーションを全く知らないので、新人教育の一環で視察ツアーを組みたい。また、現在のデジタル制作のアニメーション用語は、セルアニメーションの制作工程の用語が基礎となっていることを、撮影台などを使って説明したいという声もいただきました。

―業界内での教育に使われるというのは意義がありますね。

吉田:それから、ここに来る度に思うのは、近所のお子さんが来ているということが、非常に嬉しいですね。お母さんが安心して行って来なさいというのか、自主的に遊びに来ているのか、わからないですが、そういう地域に根付いた施設にもしたいなと思います。

―子どもが好きなのでちょこちょこ連れて来ている、というお母さんと話したことはあります。いわゆるリピーターですね。

吉田:ちょっと話がそれますが、昨今の『鬼滅の刃』のブームは、子どもからお年寄りまで幅広く受け入れられ、リピーターによってあれだけのものになったと思うんです。そうでないと、劇場版の興行収入が387億なんて、とてもじゃないけれど行かないと思います。アニメーションは、そういう社会現象を起こせるぐらいの可能性を持っていることに改めて驚かされます。私が小学校の頃は、アニメーションと言えば外国のアニメ。『ポパイ』『マイティ・ハーキュリー』『ディック・トレイシー』とか。先輩たちは親に「漫画なんか読んでるとバカになるよ」と言われたらしいです。その後、国内アニメ番組が年々増加、how to本、税金から法律までアニメでの解説がわかりやすいと受け入れる社会となった。今回の“鬼滅”は、アニメ業界にとって非常に嬉しいことですよね。

―本当にそうですね。

吉田:例えば、SAMはジブリ美術館のように作家の持つ作品の世界とは違って、日本のあらゆる作品やキャラクターを紹介できる唯一の展示施設なので、そういったところをアピールして、いろんな方に来ていただきたいですね。

―そこはこの観光プロジェクトとしても強調していきたいところです。このSAMを含め、アニメ制作会社数が多いという特徴を持つ杉並について思うところはありますか?

吉田:杉並区に制作会社が138社もあるというのは、私が現役でやってきた時代とは違うけれど、日々素晴らしい作品が生まれている街なんだ、ということですよね。あとはやっぱり、多くの作品の紹介をしている唯一の展示施設だということ。アニメの発信基地として、これからもここからどんどん作品を紹介して、地域住民の方を含めてもっと知ってもらいたいというのが、これまで外にいた私から見た印象ですね。あとは、この杉並区から発信しつつ、アニメ等を活用した地域ブランディング事業で連携している中野区や豊島区、中央線、西武線の地場産業として連携できればと思います。

―館の新しい顔として、そういう動きを見せてくださることを期待しています。

吉田:人々の生活で重要なのは、まずは衣食住です。アニメーションを含む文化芸術・エンターテイメントというのは、いつも後回しなってしまいますが、どんな時もやっぱり、人々の心の支えになるアニメーションというのは存在すると思います。私はアニメ業界に携わってきたことを誇りに思い、先輩たちから受け継いだ熱き想いの込められた膨大な作品を守り、活かし続けるとともに、新しい作品に繋げていくことが大切かと思います。展示施設として少しずつ拡大しながら、役立っていければいい。
ところで東映アニメの『白蛇伝』からは60年くらい経つのかな。2017年が日本の商業アニメーション100周年となり、『白蛇伝』の公開日10月22日を「アニメの日」として記念日登録しました。

―日本で初めてのオールカラー長編劇場用アニメーションですね。1958年公開なので、63年です。

吉田:アニメ業界は60年以上経ちましたが、作品はすぐには作れないので、各制作会社は2年か3年先まで仕事が埋まっています。量産よりも良いアニメ作品を創ろう、提供しよう、という風になっていただければと思います。アニメ業界は昔から厳しい業界と言われています。私も講演の中でよく、アニメ業界は今まで3Kと言われてきたけれど、これからは4K、8Kの時代です、と話しているんです(笑)。

―おあとがよろしいようで(笑)。

吉田:いや、アニメーションの可能性というのは本当に大きくて、”鬼滅”の余波は僕も想像できなかったけれど、世の中を楽しませたり夢を見させたり、そういうことができる可能性を大きく秘めているのですから。一番は、やっぱりアニメ産業に人を呼び込みたいというのがあるんですけども、それを含めてSAMを中心に杉並から世界へ、なみじゃない杉並!と発信できればと。

―少しずつ着実に。SAMのご発展を期待しております。どうもありがとうございました。

鈴木伸一名誉館長からもメッセージをいただきました!
2005年のオープン時に初代館長に任命されました。依頼された当初は、誰も経験がないことなのでお断りしたのですが、始まってみたら日本初の取り組みということで、とても面白かった。
展示や上映などだけでなく、来館者にはアニメ作りを体験してもらいたかったので、最初からワークショップを取り入れました。地域の人と一緒にアニメ作品を作りたい、という思いがあったのですね。そうすれば、自ずと館の認知度も上がっていくだろうとも思いました。
新館長には、好きにやっていただきたい。SAMのスタッフには15年も続いている人もいるので、よくわかってくれていて安心ですしね。日本で初めてのアニメのミュージアムということで、大事にして欲しいと思います。
※人気アニメーション映画『この世界の片隅に』を手掛ける区内アニメ制作会社の関係者対談もぜひご一読ください。とっておきの秘話や杉並区とアニメの関わりなど盛りだくさんの内容です:記事はこちら

※英語サイトでも記事及び動画を掲載しています:前編後編

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※本記事に掲載している情報は2021年04月01日公開時点のものです。閲覧時点で情報が異なる場合がありますので、予めご了承ください。