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BnA HOTEL Koenji・アートディレクターの大黒健嗣さんに聞く

「泊まれるアート」がコンセプトの「BnA HOTEL Koenji」は、感度の高い外国人観光客などから注目を集める新しいタイプの宿泊施設。今回話を伺ったのは、この場を起点に高円寺の街を盛り上げるプロデューサー/アートディレクターとして活躍する大黒健嗣さんです。ギャラリー・カフェ「AMP cafe」の店長を経て、現在は「Mural City Project」(街なかに巨大壁画を施しアートによるランドマークを創出する事業)をはじめ、高円寺で様々なアートプロジェクトを展開し痕跡を残してきた大黒さん。取り組んできた仕事のことや高円寺の街について、大いに語っていただきました。

「BnA HOTEL Koenji」ができるまで

−本日はお忙しいところありがとうございます。さっそくですが、大黒さんのご出身からお聞きできますか?

大黒:出身は青森県八戸市です。18歳まで八戸にいて、大学進学でこっちに出てきました。なんでもやりたいし、やれるようになりたい。負けず嫌いで、勉強も運動もオールマイティでいたいという、そういう少年でした。

−では学校の成績も良かったのですね。

大黒:そうですね。通信簿は中学卒業までオール5以外をとったことがありませんでした。生徒会長もやったりしましたね。で、高校は進学校に進んだのですが、進路を決めるときにやりたいことがないと気づき、完全無欠な自分でいるために頑張ることをやめてしまいました。いわゆる思春期的な反応で―訳のわかんなそうなことが一番かっこいいと思う時期じゃないですか―現代美術というものに興味を持った。最初は高校2年だったかな?

−きっかけはあったんですか?

大黒:昔からものづくりへの興味とか、世の中に対する疑問とかは持っていたと思うんですけれど、大学はどこに行こうかと考え出したのがきっかけではありますよね。

−そうして進んだ大学では美術を勉強できるところだったのですか?

大黒:慶應義塾大学のSFC(湘南藤沢キャンパス)に入りました。美大じゃなかったけれど、面白そうだなと思って。で、半年留年したのですが、結果的には完全にふわふわしちゃったんです(笑)。青森の八戸って、北国の静かな、陰と陽でいったら陰みたいなところが根っこにあると思うんですが、そこで生まれ育った僕には、物思いに耽って、ひとりでいることがナルシスティックに好きみたいなところもあって。大学が自由すぎて野に放たれるようになると、ひとりが好きすぎちゃうんです。活動的に見えて、実際はかなり引きこもっていました。意外と遊び方がわからなかったし結構無理もしていた。そうしているうちに、いつの間にか就職活動とか始まって、え!? そうなの? みたいな。急にスーツを着たりとか全然できなくて、どうしていいかわからなくて…。

−SFCの自由度の高さがかえって合わなかったということでしょうか?

大黒:カリキュラムも全て自分で決めていいっていうところですからね。それで卒業してからも、2年くらい日雇い労働者をやっていたんです。建設現場の荷揚げ屋。

−荷揚げ屋ですか。就職活動は特にせずに?

大黒:そうですね、逃しちゃったというか。気づいたときには現場で働いていたという感じで。もともと美術をやりたくて、なんでもできるSFCに入ったけれど、何も考えていなくて、なんとかなるだろう、なんか見つかるだろう、取り敢えず就職はしたくない…という感じで。希望がなかったんです。少なくとも僕にはその時代、将来の希望が見えなかった。

−今おいくつですか?

大黒:35歳です。だからそれは2006年〜2008年のころ。僕自身、なんか模索したい感じだったと思うんですよ、全体的に。で、2年、日雇い労働をやったという。

−東京ですか?

大黒:はい、そのころは下北沢に住んでいました。音楽活動というほどでもないけれど、気が向いたときにバンドをやったりしていました。

−高円寺の「AMP cafe」を始められたのはいつですか?

大黒:24歳のとき、たまたま「AMP cafe」のビルのオーナーとある結婚式の会場で知り合いました。新しいビルでライブハウスを始めるというのは聞いていたのですが、そのあともなんだかんだの縁があって、立ち上げの時から手伝いたいと半ば押しかけたんです。「AMP cafe」の地下にある「高円寺HIGH」というライブハウスです。そうして、そのままライブハウスが始まって半年くらいずっと、ほぼ休みなくオープンからクローズまでぶっ続けで働いていました。デザインもやったり。で、いきなりそんな感じだったんで、精神状態が最悪になって…。「やっぱり毎日同じところに通うのとか無理!」みたいになっちゃった(笑)。で、そろそろ辞めますっていう話をライブハウスの店長にした時に「一階がギャラリー・カフェになるからやんない?」と言われたんですよ。「やんない?」っていうか、「やらせてやってもいいけど」くらいの感じに言われたのかな。その辺の記憶は曖昧なんだけれど、ともかく「これはチャンス」と思って、またガーッと動きました。まだバイトだったけれど僕しかわからないこととかすでに増えすぎていたので、必然的に店長になった。でも、ギャラリーをやるとは思っていなかったです。

−現代美術には関心を寄せていたけれど。

大黒:未だに関心は寄せていたけれど、何も決まっていなかった。でも、ギャラリーのようなことをやるとは本当に思っていなかったですね。

−その結婚式にたまたま行ったことから始まったのですね。

大黒:元カノのお姉ちゃんの結婚式でしてね。オーナーは元カノのお姉ちゃんの元カレだった(笑)。「AMP cafe」をオープンしたのは今からちょうど10年前。

−おお、そうなんですか。

大黒:2008年11月1日にオープンしたんですよ。だからつい先日10周年でした。

−それはおめでとうございます。ちなみに「AMP cafe」で働き始めたときは下北沢から高円寺に通っていたんですか?

大黒:いや、もう高円寺に引っ越していました。

−その前に高円寺がどういう街かご存知でしたか?

大黒:全然知らなかったですよ。古着とか、一般的な世間のイメージくらいは知っていましたけれど、ほとんど来たことがなかったですからね。

−仕事はどんな感じでしたか?

大黒:最初は、寝るとき以外は一日のほぼ全ての時間をそこで過ごすという感じでした。とにかく何もわからなくて、最初はハッタリから始まっているんで(笑)。やることが山ほどあるなかで、それこそエクセルの使い方とか、メールの書き方とか、ググって試してバーっと覚えていきました。作家は、とにかく直感的に面白そうなところに連絡入れたり会いに行ったりしているうちに、だんだん人が人を紹介してくれるようになって、感度が合う人のネットワークが出来始めていって。とにかくわからなかったわけですからね、それまでは。今もわかんないことだらけですけれどね。

−アーティストはどんな方たちですか?

大黒:ライブペイントとかストリート感覚を持っている人たちと一緒にやっていました。横のつながりでだんだん人を巻き込んでいく感じがストリートカルチャーと似ていて面白かったし、これはシーンになるかもしれないなと思ったし、その頃知り合ったアーティストたちに対して半分憧れもあって、自分もその中にいたかった。それで、そういう人たちと展示会というかたちで色々と試していました。ただ、メンタルは相変わらずボロボロでしたけれどね。月に一回くらいは突然泣いちゃったりしていました(笑)。

−それは結果が出てこない、とかで?

大黒:いや、実際うまくいかないことが多かったけれど、悔しいとかじゃなくて、単純にそれまでは社会から離れていたわけじゃないですか。色々しんどいんですよね、毎日お店を開けて人と明るくコミュニケーションとるのとか、実は(笑)。一方で覚悟もあったから、気持ちの張詰め方が半端じゃない、みたいな状態で。勝手にギンギンで。

−そこでつながった人たちとは今の仕事でもつながっているのですか?

大黒:アーティストはそうですね。でも別に、新しい出会いもあるし、入れ替わっていくし、また縁があれば一緒にやるしって感じで、アーティストとグループを組んでとか、そういうのはなく、単純にいい関係でいます。で、はまる仕事があれば連絡を入れて、というやり方ですかね。

−そこはゆるやかに。

大黒:そうですね、自分はそもそも束縛されるのが嫌いだし、お互いにそういうフラットな関係性が一番心地いいですね。でまあ、「AMP cafe」でも色々やってはいたんだけれども、なかなか人に届かないんですよ。色々なアイデアで企画展をやっても、100人か200人を呼んだくらいでは世の中的に何のニュースにもならない。継続していればそれなりの何かが生まれてくるかもしれませんけれど…。もうちょっとお金が動いてもいいかなと思いつつ、かといってアートが売れる業界のところに持っていって、コマーシャルギャラリーになってパトロンを集めて、ということはピンと来なかった。「いっちょ頑張ろう」というほどの気にはならなかったんですね、結果的に。

高円寺はコミュニティの可能性に満ちている

大黒:で、自分なりに面白い方法はないかなとそろそろ突破口を考えていたころに、アーティストを起用してホテル事業をやりたいっていう連中が会いに来たんです。「AMP」を初めて6年経ったあたりの4年くらい前、人の紹介で。考え方がある部分でマッチして、直感的に面白そうだなと思って、すぐにやろうって返事をした。高円寺に来るならいいよ、一緒にやろうと。この街とこの感じのままに新しいプロジェクトに取り組めるならいいかなと思って。

−そうか、「BnA HOTEL」は、もともと大黒さんの発案というわけではないんですものね。もう2年経ちましたか?

大黒:約2年半ですね、2016年春にオープンなので。会社を作ってからは3年くらいですね。

−振り返ってみてどうですか?

大黒:敢えて言えば、高円寺においてはまだ2部屋しかできていないな…という感じですかね。

−2年半経ったけれど、一箇所にふたつの部屋があるだけ、という認識なのですね。

大黒:そもそも「街が家」だと捉えるとか、空き家をギャラリーにしていきたいとか、そういう自分の感覚とホテル事業のコンセプトは近いんです。近所のカラオケやレストランはホテル付帯の施設で、道路は廊下で、というような考え方で宿泊する人に遊んでもらえたらと思っています。だから壁画のプロジェクトなどとも繋がっていて、その周辺の試みとしては僕だけでなく仲間も色々と取り組んでいるんですけれど、やっぱり部屋が街中に点在している状況というのは街型ホテルにとって必須だと思っています。それが実現したあとの世界を早く見たい。

−なるほど。

大黒:あとはやっぱり、改めて、高円寺は実験ができる環境として大事にしていたいと思いますね。この街ですべて商業的に完成させようという気はなく、それを急ぐと良くない結果をもたらすという思いがあります。高円寺で荒稼ぎするビジネスが生まれたら何かが崩れちゃうんじゃないかという気がするし。まあ稼げるビジネスじゃないんですけれど、もともと(笑)。

−確かに「BnA」のようなホテルは、ある種の実験ですよね。

大黒:そう。完璧な完成品よりも実験精神を感じるものこそが面白いし、特に高円寺は実験ができる環境として手作り感覚でやっていこうと。でも実は、そうしていると、このビジネスモデルやスキルが他の都市や企業などの目に止まり、オファーをもらって仕事する、みたいな流れができるんですよね。すると今度は、高円寺が聖地化していくんじゃないか。例えばまちづくりを考えている企業や団体は普通、お金をかけてコミュニティスペースを作って…みたいにやっていくと思うんですけれど、実は高円寺に来るとそれがすでに理想的なかたちとして存在しているように見える、みたいな。

−逆転の発想ですね。面白い。

大黒:だから、高円寺にそういう人たちを連れてくるのがすごく誇らしい。いいでしょ、この街、みたいな(笑)。で、高円寺の人たちもそうやって外に発信されていくことに自覚が高まってくると、僕だけじゃなくって色んな人がそういう視点で街を紹介するようになる。そして、そんな噂を聞いて東京のほかの街や世界の都市の人が取材に来たり遊びに来たりするようになれば、自分たちも面白いことをやっているかもしれないという自覚がさらに高まる。

−素晴らしい好循環ですね。

大黒:それで少しずつレベルアップしていくというのは、まあ、狙っているというか、目論んでいるし、そういうふうになってきている感じも、なくもない、みたいな(笑)。そういう意識で普段から遊んだり暮らしたりする空気感が生まれ始めているように思います。

−まさに発展途上にあると。

大黒:ええ。さらに言えば、コミュニティって、その中にいる人が仲良く一対一で理解し合いましょうというよりは、「同じ目的を持って一緒に取り組むことがあると生まれるもの」だと思うんですよ。で、同じ目的というのは、多分、何かを作って外に発信することかなと。そうして外との交流が生まれてくると、今度は逆に内側が家族的になっていくというのがあると思うので、近くに住んでいる者同士で一緒に外に発信するプロジェクトをやっていくというのが、コミュニティを強固にする手段のひとつになってくる。しかもそれって、遊びとしてもすごく楽しい。そういう中で、ちょっとでもいいからギャラを発生させるとか、本格的に仕事をやりたければ、がっつり入ってもらうとか。街の中でプロジェクトを立ててプランニングして、そして街の人に振っていくというようなことが、ようやく少しずつかたちになり始めてきたんです。

−「AMP Cafe」から「BnA HOTEL」を経て、ということですね。そこまでの思いは、やはり長年過ごしてきた高円寺という街への愛着なども影響はしていませんか?

大黒:24歳から住んでいるから…長くいるから好きになっちゃっているというのは本音ですね。そんなもんだと思います。でも敢えて好きなポイントをあげると、酔っても車に轢かれない(笑)。この街には、はしご酒カルチャーとかあるわけじゃないですか。めちゃくちゃ楽しいですよ、夜の高円寺。で、どんなにベロベロに酔っ払っても、車に轢かれないんですよ。他にもいい飲み屋街っていっぱいあると思うんだけれど、近くに大きな道路があったり街を分断していると、酔って気持ちよくなっているとき、ものすごく怖いじゃないですか(笑)。突然冷静になっちゃう。それ、僕はすごく嫌ですね。高円寺にはそれがない。だから高円寺は、「夜になるとほとんど廊下」という表現の仕方で人に伝えています。それが大きいんじゃないかな。

artist : Shogo Iwakiri

artist : Shogo Iwakiri

−車に轢かれない街、高円寺(笑)。

大黒:僕は地元が青森なんで、でかい街とかでかい道路とかでかいビルとか、萎縮しちゃうんです。都市として「かたちがいい」と思うんですよ、高円寺は。カオスな作りをしているし、知らないとなかなか行けないところがあるというのも、住んでいる人にはいいですよね。で、外から遊びに来る人も、そういうところに魅力を感じ始める。だから、日本のことをよく知るようになった外国人も、一歩先、よりディープなところに行きたいとなったときに、高円寺が面白いという取り上げられ方をしていると思うし。そういう面白さは最初から感じていましたけれどね。

−高円寺にそういう側面は強くありますよね。

大黒:あと、自己紹介のときに「お店をやっています」と言うと違いますよね。「AMP cafe」を始めたばかりの25,6歳のころは街の中でも若かったから、「若いのによくやってるね」と反応されました。だから関東に出てきて初めて、高円寺で「街の一員」という感覚を持てるようになった。でもこれは僕だけじゃなくて、結構みんな言っていることなんですよ、この街が好きだという人は。なんというか、大学みたいな、家族みたいな?どこに行っても誰かに会うけれど、だからといって毎日同じ繰り返しというほど規模が小さくない。なんかこう、ゆるやかに当たり前に誰かと繋がっているところが、ある意味家族っぽい感じでいいなと思う。

−先ほどおっしゃっていた、街として「かたちがいい」ということともつながる気がします。

大黒:東日本大震災のあと、自分がやっていることを「なんでこういうことをやっているんだろう」と考えるようになって、その流れからか、僕自身はお店をやっていたので街からはそんなに出られないけれど、都市に住みながら田舎に出て行ったりとか、ホームレスみたいな暮らし方とか、いろんなことをやり始める人たちが周りに出てきた。高円寺で暮らし続ける中で、旅をしているような感覚で生きていくような感じ…社会的に何かメッセージになるような自分のライフスタイルは何だろうというのを考え始めて。それで僕が行き着いたのは、家なしの暮らしというものでしたけれど。

−家なしの暮らし?

大黒:一時期、月替わりで人の家や空いている物件を無料で渡り歩くような生活をしました。8ヶ月くらいだけど。

−ということは、一軒家で子ども部屋が空いているような家ってことですか?

大黒:まあ、そうですね。

−同年代の友達の家に泊まりに行くというのとは全然違いますね。

大黒:違いますね。空き部屋がある家を探して。

−どうやって見つけるんですか?

大黒:人づてですよ。直接の知り合いとか、紹介とか。で、そういうことをやっていくうちに、だんだん街が身近になってきました。一人暮らしの東京においては、一般的に家と呼んでいる場所って、寝室でしかないなと思ったんです。要は、寝る以外は外にいて何かやっているので。で、引きこもりな性格の僕が街中にずっといるようになった。それはもう外出しているんじゃなくて、街にいるのが家にいる感覚になったということ。街が家なんです。感覚としては、共有する家を単純にもっと気持ちいい場所にしたいなと。まちづくりとかじゃなくて。

artist : Yohei Takahashi

artist : Yohei Takahashi

−あの震災がきっかけでそういうふうに考える若者が増えてきたと思います。そうした状況とリンクしていますね。

大黒:でも、アートでまちづくりとか言ってしまうと…いいことをやっている人になっちゃうじゃないですか。でも僕にはボランティア精神はないです。敢えて言えば、ワクワクする時間が増えることで役に立てるならいいですけれどね。だから、いいことがやりたい、ボランティアがしたいという意識じゃなくて、遊びの感覚が似ている人たちと一緒にやっていきたい。単純に、面白いことをやりたい人が集まってきたら面白いことが起きやすくなる。それに、結構ゲームっぽいところもあるんですよ。

−ゲームですか?

大黒:色々攻略していくところとか。壁画なんかも、完全に合法でやっているんですけれど、なんか脱法に近い(笑)。そういう、理屈だったら断りようがないみたいなところに持っていかないと、全部ノーと言われてしまうんで。新しいことをやろうとすると、だいたいね。普通、できないということには何かしら理由がある。それに文句をつけるのではなく、網をぬっていく、みたいな。それが攻略っぽいですよね(笑)。

プロジェクトの核心は遊んで面白がること

−なるほど。それにしても、「AMP Cafe」も「BnA」も、大黒さんが自らやりたいということではなく、外からもたらされたというのが面白いですね。

大黒:そうですね。きっかけを人や偶然からもらうことが多い。運はいいです。

−コミュニケーション能力も高いのだろうな、と想像します。

大黒:まあ、興味を持てたらいったん合わせるのはそんなに苦じゃない。「AMP」時代に鍛えられたのもあるし。ただ、遅いですよね。自分でどんどんやっている人は速いですから。だからまあ…ずぼらですよね、面倒くさがり。でも人から求められたりせっつかれたりすると頑張っちゃう(笑)。

−ところで大黒さんから見て面白い人とは、やはりそういう自ら進んでどんどんやってしまうような人?

大黒:そうですね。自分で何か勝手にやってる人ですかね。社会的にどういう評価を得ているかとかでなく、むしろ「これ好きで作っています」みたいな人。あとはビジネスとか経営をやっているとか。最近はそういう人たちと知り合えるようになりました。視点が広がって、勉強になりますね。

−そもそも「BnA」の他の皆さんがもともとコンサル会社にいらした方とかですよね。

大黒:そう。今まであまり出会ってこなかったタイプでした。で、そのメンバーたちと話してみて、俺、我慢していたんだなということがわかったのは大きかった。

−それはどういうことですか?

大黒:みんなに会うまでは、自分の中にもっと話したいこととか引き出しとかあったのに、制御していたんだなって思ったんです。そういう意味では爽快でしたね。…でもまあ、ギャップはあるわけですよ。

−といいますと?

大黒:同じゴールを見ているとしても、それぞれに根付いた、前提となる思考回路の違いは感じます。僕はビジネスとは原理的に出発点の違う世界にいたわけで。でもだからといって、創造の喜びの枠の中だけでぶっ飛んでたりするのも違うなと思うようになって、理想的な組織形態とか社会のあり方とかを考えながら、ビジネスとしても成立することにトライしている。ビジネスとアートの立ち位置というのをそれぞれが役割分担して代弁しながら、議論して落とし所を決める。それは意識しながら日々やっています。どっちかの価値観のみが偉くなっちゃだめだよね、と。

−アートとビジネスを巡る議論は複雑で、でもアートを存立させるためには普遍的な問題ですよね。

大黒:だからそもそも複数人で共同代表をやるということで始めたし、そのあたりはみんなわかっている。このチームの価値はそこにあると。

−「BnA」の主要プロジェクトのひとつである、「Mural City Project」について教えてください。

大黒:今のメンバーで一緒にやろうとなったとき、ホテル事業とは別のことで、自分たちのスキルの中でできるし、やりたいことの中にリンクするポイントが一番大きかったのが、この壁画のプロジェクトですね。中央線あるあるプロジェクトにも協力いただきました。

−ホテルを始められた当初からビジョンはあったんですか?

大黒:はい、ありました。こういう巨大壁画って、海外の都市では割と当たり前のようにあるものなんですよ。で、海外では当たり前だけれど日本ではできていないことの例って、観てきたりしないと堂々と言えないじゃないですか。そういう中で、外国のカルチャーを観て育ってきた仲間がいることは、相当後押しになりましたよね。彼らが、自分たちの言葉で、日本にないのは不思議だって言うんですもん。なんか、それだけでいいんですよね。これはこうだろうなって思っていることを、ドン・キホーテじゃなくって当たり前にそうだと思っている仲間が身近にいるだけで、断然やる気になっちゃいますね。

−いいバランスでやられているんですね。

大黒:正直、BnAチームはすごくバランスがいいと思っています。あとこれは、やってみてから気づいたことなんですが、壁画のこのプロジェクトはアーティストと自分達だけではなく、いろんな領域にいる街の人たちと本音で交流したり、街の歴史や未来について意見交換する機会としても最高にいいですね。最終的に完成したときに、喜びを共有できる人の幅がめちゃくちゃ広がりました。

artist : Whole9

artist : Whole9

−それは素晴らしい。高円寺の壁画は、今は全部で5箇所ですか?

大黒:そうですね。

−ホテル事業も同じだと思いますが、このプロジェクトを進めていく上で大事なことはありますか?

大黒:街に関することでいえば、とにかく自分がそこで遊ぶことです。当たり前だけれど、遊んでいないとどこが面白いのかわかりませんよね。興味があるポイントを遊びながら見つける。特に、街を動かしている人と仲良くなりたいんですよ。面白いことがいち早く見つけられるし、起こしやすくなるから。話を聞きたいし、聞いて欲しい。なにかしら理由をつけて、日頃からふらっと商店会長さんのところとかに行って、やりたいことを話しておくんです。そうすると、いざ案件があるときに、それが世の中にまだあまりない提案だったとしても「ああ、前に言ってたやつね」みたいに、びっくりされない。仕事でそれが必要だから改まって挨拶に行っても、たぶんダメだろうなと思うんです。普段から普通に敬意を持ちつつ、孫くらいの図々しさで行こう、みたいな(笑)。

−いいですね。

大黒:それしかないですよ。街で今やっているようなことをやるんだったら。会社のプロジェクトとして何かをやろうとすると、それなりに段取りを経なければいけないと思うんですけれど、僕のモチベーションのピュアなところはそういうことじゃなく、面白いからやりましょうよ、というところにあるわけだから。そういう根本を理解してもらうにはその根本から見せるというか、さらけ出すというか。で、ダメならダメでしょうがないじゃんって感じですよ。他人に課せられたミッションではないんで。素直に行って、行けるタイミングが来たらやる、そういうスタンスでいます。

−最初からそうだったんですか?

大黒:最初の頃は、少し頑張っていましたけれどね。不動産屋さんの窓口を回ったりとか。でも、違うなと。店頭の窓口の人に、僕みたいなのが変な提案しに行っても、困らせてしまうだけでした。だからそこは、昔も今も自分で意思決定できる人たちに話をしようと。効率もいいですから。

−それにしても、この壁画のプロジェクトはスピード感がすごいと思いました。2016年に始まって、高円寺にもう5つもできている。

大黒:でも僕らはそう思っていないです。もっと速い人やプロジェクトは世の中にいっぱいありますよ。でも、高円寺の街なかが壁画だらけになることが果たして合っていることなのかというのは疑わしいし、僕自身もまだそういうビジョンが見えていない。自分の中でそういうのが見えれば、スピードももっと上がると思うんですけれどね。でも、今はこれでいいです。なんとなく感覚的には、10個目くらいまではゆっくりコミュニケーションを取りながら、意見交換しながらやっていくのが良さそうだなと思っています。

−ではあとは、先ほどおっしゃっていた、ホテルの部屋を増やしていくことですね。

大黒:増やしたいですね。でも忘れちゃいけないのは、部屋にせよ壁画にせよ増やすこと自体が目的ではないということ。事業ありきじゃないんですよ。僕は本質的なところで遊び感覚が最優先なんで、その延長で面白がりながらやっていくことが一番大事だと思っています。

BnA HOTEL Koenjiの情報はこちら:
https://www.chuosen-rr.com/accommodations/koenji-bna/

※本記事に掲載している情報は2018年11月30日公開時点のものです。閲覧時点で情報が異なる場合がありますので、予めご了承ください。