高円寺フェス10回連続出演のみうらじゅんさんに聞く

「高円寺は日本のインド」という名言を生み出したのは、サブカルの帝王として知られるみうらじゅんさんでした。かつて高円寺に暮らし、そして高円寺を離れ、それでも毎年高円寺フェスのトークイベントに出演し続けるみうらさんは、紛れもなく高円寺を象徴する一人です。今年は高円寺フェス出演10回目の節目。ご自身が出演されたトークイベントを振り返りながら、これからの高円寺フェスについて、提言いただきました。(インタビュー協力:高円寺フェス実行委員長・佐久間ヒロコ氏)

高円寺フェスを振り返る

―本日はお忙しいところありがとうございます。みうらさんが高円寺フェスに毎年出てくださっていて、しかも今年は10回目という節目の回である、ということでお邪魔いたしました。

みうら:もう10年もやってるんですか?

―そうなんです。座・高円寺ができたのが2009年で、そこを使う高円寺フェスの初めてのトークイベントに、みうらさんと泉麻人さんが出演されています。

みうら:麻由美ちゃんという泉さんの娘さんが話を持ってきたんだよね。麻由美ちゃんが何か関係することをやってたんじゃないかな。

佐久間:実行委員だったんです。その頃はまだ大学生でしたが。

みうら:そうそう。それで、「じゃあ、お父さんと是非」と言ったら、「お父さん以外の方で」って(笑)。

―そうなんですか(笑)。

みうら:関係者3~4人で当時の事務所に来てくれたんじゃないかな。もともと毎年やるとは決まっていなくって、とりあえず何かやりたいってことで。僕が「お父さんと一緒じゃないとヤだ」と、意地を張ったのはよく覚えています(笑)。

―泉さんとは旧知の仲でいらっしゃいますよね。そういう経緯だったのですね。

みうら:そうそう、泉さんもそうだし、以降このトークイベントにゲストで出てくれる人って、30年くらい付き合いのある知り合いが多いんです。基本、断れない人を呼んでいます(笑)。

―(笑)。では早速、順を追っていきたいと思います。泉麻人さんの2009年に続き、2010年は峯田和伸さんでした。

みうら:峯田君には、『アイデン&ティティ』という2003年の映画と、そのあと『色即ぜねれいしょん』という映画にも出てもらっていました。両作とも僕の原作を、田口トモロヲさんが監督してくれて。『色即〜』の公開が2009年だったから、峯田君がゲストというのは、その流れだと思いますね。

―なるほど。峯田さんは後ほどまた登場されていますね。そして2011年の3回目は、久住昌之さんと前野健太さんのおふたりです。

みうら:マエケンは、のちに僕の原作の『変態だ』(2016年)という映画に出なきゃいけないことになる一発目の布石ですね(笑)。でも、久住とマエケンはそもそも友達ではなかったんですよ。

―あ、そうなんですか?

みうら:ええ。どこかのイベントでマエケンと一緒になって、すごく出て欲しいなと思っていたんだけれど、その頃の高円寺フェスのスタッフがマエケンのことを知っているかどうかわからなくてね。それから、泉さんや峯田君みたいに中央線沿線の匂いがする人を呼んできた中で、久住にも是非と思ってたんで、新宿の鶏鍋屋にふたりを呼んで「友達になって欲しい」と頼んだのをよく覚えています。

―久住さんと前野さんを組ませたら面白くなる、と思われる何かがあったのでしょうか?

みうら:僕もオリジナル曲を歌うということをしたかったんでしょうね。それに三人が高校時代までに録音した恥ずかしいテープをかけるというのをやりたかったんです(笑)。マエケンのところから、尾崎豊の歌を歌っているカセットが出てきてしまって、それをラジカセにマイクをつけて流しました。それは恥ずかしいどころかおもしろいプレイだったんだけれど、マエケンは少し僕らより若いから、恥ずかしかったんでしょうね。ということで、恥ずかしいことをしないとダメだという高円寺フェスになったんです(笑)。

―だんだんそうしたテーマが発生してきたのでしょうか?

みうら:1回目は、泉さんが街のことに詳しいから、イベント前に高円寺を歩いて写真撮ってきてもらって、それについて話したんですよ。はじめはちゃんと、高円寺フェスということで高円寺に特化してやろうと。2回目の峯田君、3回目の久住も中央線沿線の人だし、中央線に絡めてやっていましたよね。でも4回目くらいから関係ないゲストが出てるんじゃないかな。

―4回目、2012年はリリー・フランキーさんです。

みうら:なるほど、リリーさんでしたか。

(このときのイベントは過激な内容だったため、書き起こしできませんでした)

みうら:で、次は誰でしたっけ。

―2013年は宮藤官九郎さん。

みうら:宮藤さんとは・・・「週刊プレイボーイ」で対談する連載が始まって、たぶんですけれど、宮藤さんの撮った映画に出てくれって頼まれたもので、逆に条件としてこのフェスに出なきゃダメ、ということで無理やり出ていただいたんだと思います(笑)。

―その頃ちょうど「あまちゃん」も放送されていましたよね。

みうら:ですよね、大人気でした。チケットもすぐ売れたと思いますよ。それを高円寺フェスにぶつけたというところに僕の意気込みがあってね(笑)。

―本当にそうですね。いや、お聞きしたかったです。そして2014年は特殊漫画家の根本敬さんでした。

みうら:これはもう最終回だと思って突っ込みました。そろそろこのトークイベントも終わりだろうと思って(笑)。根本さんとは、雑誌とかTVで最終回になると昔から呼び合う仲なんですよ。高円寺フェス側の、もうそろそろいいだろうというような感じを察知したんだと思います(笑)。早いうちに根本さんを出しておかないと終わってしまうなって。その年に高円寺フェスは何かが変わろうとしていたんだと思います。ゆるキャラの審査員まで僕に頼んだの、その頃じゃないですか?

―まさにそのとおりです。高円寺の公式キャラクターを選ぶ審査をされています。サイケ・デリーさんというキャラが選ばれました。

みうら:高円寺フェスが新たな方向に行こうとしていると感じたのかもしれませんね。僕、その手の勘はするどいので。その頃、ゆるキャラの方が、高円寺フェスで自分がやっているイベントより、より人気がありましたから(笑)。だから、これが最後になるなと思ったんだと思うんです。で、急いで根本さんを呼んだものです、助けてって(笑)。

―(笑)。

みうら:僕と根本さんが一緒に出た雑誌は、たいがい潰れるんですよ。さらに杉作J太郎さんが乗っかってくると、確実に潰れる(笑)。それは30年以上前からジンクスとしてあったので。この年、大槻君が杉作さんを呼んでなくてよかったと思います(笑)。
(編集部注:高円寺フェスの二枚看板とも言えるイベントとして、みうらさんが企画するトークと、大槻ケンヂさんが企画するトークがある。)

―すごいジンクスがあるのですね(笑)。とはいえ、根本さんが来てくださっても、翌年も無事に行われました。7回目、田口トモロヲさんと峯田さんのおふたりです。

みうら:ブロンソンズですね。デビュー20周年だったんです。たいがいは歌舞伎町で飲むのが活動だったんですが、雑誌「POPEYE」で連載が久しぶりに始まったもんで、峯田君に「ブロンソンズに入ってもらえません?」と言ったら「入ります」となった。新規ブロンソンズの出だしだったんですね。会場では、にわかに作ったブロンソンズのTシャツを売りました。おかげさまで完売して、そのTシャツ代で打ち上げをしたと思います(笑)。

―売り切れてしまってもう見ることができないのですね。話の内容はどんなものだったのですか?

みうら:もう覚えてないですね(笑)。いつものブロンソンの啓蒙活動でしょう。よく学園祭に呼ばれてトモロヲさんとやってたやつ。ヒゲをつけて。歌も三人で歌ってね。毎回、実はわりと張り切っているんですよ。

―続いて8回目、2016年になりますが、この回は、高円寺フェスの過去の公式サイトを見ても、ゲストの記録がありませんでした。

みうら:あ、猫ひろしを呼んだ回ですね。スペシャルゲストと言って名前をふせてました。その年、猫ちゃん、オリンピックに出たじゃないですか。その日は埼玉かどこかで営業の仕事があってね、そこから走ってきたわけじゃないけれど、終わってから来てもらったんです。オリンピック人気が高かったからさぞかし盛り上がるだろうと思ったんですけれどね(笑)。

―そうですか、猫ひろしさんだったんですね(笑)。あまり盛り上がらなかったのでしょうか。

みうら:猫ちゃんが埼玉に営業に行ってる間は、マエケンが埋めてくれたんですよ。前野健太がもう一度出ているのは、『変態だ』という映画がついに公開になるタイミングだったから。宣伝も兼ねてマエケンが最初に出て、そこへ猫ちゃんが走りこんでくるという流れにしたかったんですけれど、なかなか客は渋い反応でしたね(笑)。

―そういう中で、イベントはどうだったんですか?

みうら:オリンピックのことを聞けばよかったけれど、さほどこちらも興味がないから(笑)。どこでやったんでしたっけ、オリンピック。

―リオです。

みうら:リオから走り込んできてれば良かったですかね(笑)。

―それはすごいですね(笑)。地球の裏側から。

みうら:ええ、オリンピック選手を呼んだということだったけれど、見に来た人がさほどオリンピックに興味がなかったんですよね(笑)。僕もだけど。高円寺フェスに来るような人はあまりオリンピックに興味がないということがよくわかりました。でもその後の打ち上げは盛り上がりましたね。毎年打ち上げ会場として使っていた居酒屋のおかみさんがすごく反応して、電話で娘まで呼びましたから(笑)。

―(笑)。そして9回目の昨年、2017年は千葉のジャガーさんでした。

みうら:ジャガーさんとは30年以上の付き合いになります。当時、僕がやってたラジオ短波のゲストにデーモン閣下とふたりで出てもらったりね。そのとき、ふたりには「ラジオですよ」と念を押したけれど、ふたりともあの格好で来てました(笑)。

―ラジオで姿が見えないのに。

みうら:それからいろいろ付き合いも深くなって。で、一昨年、「じゅんとジャガーは同級生」というCDが送られてきて、僕、同級生だったという事実がそこで発覚したんですよ(笑)。ジャガー星で、ふたりは同級生だったという歌だったんです。あれ?と思ったんですけれど、どうやら地球に来たときに記憶を消されてたみたいです、僕。だからこのトークイベントで、初めて打ち上げをやりました。そして今年の10月には、ジャガーさんのベスト盤も出すんですよ。選曲と編集して。そのときの打ち上げで話が決まったので、有意義な会でした。「ジャガーさんがベスト」という、ベスト盤。

―ジャガーさんご自身が、ベストであると。

みうら:そうです(笑)。

―10月に出るとなると、ちょうど高円寺フェスのタイミングですね。そして今回、記念すべき10回目のゲストは、いとうせいこうさんです。

みうら:ええ。今年2月、僕が還暦ということで、横浜文化体育館で『みうらさん、還暦かよ!』というスライドショーを一緒にやったばかりですがね。以来、いとうさんとは年内ずっと動いております。

―テーマは決まっていますか?

みうら:ありませんよ、特に(笑)。それにしても、10年経ったんですねえ。すごいですね。自分が60才になったという段階で驚きですけれどね。ここまでよく雇っていただいていると感謝しています。

佐久間:本当に良かったなと思っているのは、最初にみうらさんと大槻さんでひとつのトークイベントをやろうとしていたんですが、そうしなかったこと。それだったら、その1回で終わっていたな、と。

みうら:そうですね。大槻君とゲストを取り合ってやっている様がおもしろいですもんね。だから本当の最後は、大槻君とやりたいです。

高円寺フェスという名前を改める?

―これまでの歴史を振り返ってきましたが、今度はみうらさんから見た高円寺フェスについてお聞かせいただきたいと思っています。

みうら:高円寺フェスは広域でいろんなイベントをやっておられて。南口の西友のあたりもなんですか?

―そうですね。

みうら:ちなみに僕の戸籍は未だこの近くなんですよ。ずっと変えていなくて、西友の前。

―え!?

みうら:ま、それはそうと、高円寺フェスはちょっと広域で。「フェス」というのも意味が広いじゃないですか。・・・だからもう、「高円寺大学学祭」っていうことにしたらいいんじゃないかと思います。大学の学祭といったら、ずっと長くやってる感じがするじゃないですか。

―高円寺大学!

みうら:大学がある、ってことにしちゃいましょうよ(笑)。

佐久間:高円寺フェスについて聞かれても、いつもすごく説明が難しくて。何をやっているんですかって必ず聞かれるんです。

みうら:でしょ。だからここは高円寺大学というのを勝手に作っちゃったらどうですか。やっていることは「学び」じゃないですか。僕のトークショーだって、まあ、学びとして(笑)。カルチャーの匂いを出して、他にないものにするには、架空の大学を作っちゃう。「どこに大学あるの?」みたいに絶対聞かれるし、入ろうかなと思う人もいると思うんですよね。来年受けようかな、みたいな(笑)。

―それで問合せが来たりしたら、おもしろいかもしれないですね。

みうら:あくまで学祭の一環ということで。

佐久間:そうなんです。どこに行っても説明が難しく、「文化祭」と言うしかないんです。

みうら:「高円寺大学の学長のみうらです」と勝手に言っていいですか(笑)?

佐久間:(笑)!では今年はぜひ、プログラムの最後のところにも「学長からのあいさつ」をいただいて・・・。

みうら:そうですね。あと、できたら僕の胸像を作って欲しいです(笑)。胸像があって「高円寺大学 学長」と書いてあって、それが商店街のところに立っていたら、みんな信じますよ。

―なるほど、初代学長(笑)。夢がふくらんできました。

みうら:どこか空いてる場所ないですか?

佐久間:今それをいろいろ考えていましたが(笑)。

みうら:どこかありますよね。今、銅じゃなくてファイバーでもできるから、けっこういいやつが安くできますよ(笑)。

―ああ、3Dプリンターみたいなので。

みうら:ええ、できます。学長であれば、高円寺に3年しか住んでいないという後ろめたさもなくなりますので(笑)。

―(爆笑)。

みうら:だからゲストも、中央線沿線に住んでた・住んでいないとか関係なく、「教授」にしたら呼べる人もいると思うんですよ。

佐久間:じゃあまずは、トークイベントの名前を「高円寺大学」のトークイベントに変えた方がいいですね。

みうら:そうしてもらえたら。

―話が急展開ですね。

みうら:高円寺大学の入学申込書みたいなのも作って配ったらどうですかね。入学案内とか。

―いいですねえ。

みうら:学祭というのが、中央線は好きなんですよ。僕を含めた学生気分が抜けきらない人たちが住んでいるんだから(笑)。

佐久間:たしかに、高円寺にはそういう社会人になりきれてない人たちがいますね。

みうら:だから本当は高円寺を1回出なきゃいけないんですよ。

佐久間:そう、だから皆さん、好きな人ほど高円寺を出る。

みうら:1回出るとね、高円寺の良さがさらによくわかるんです。

佐久間:そうなんです。こないだもやっぱりそんな話になって。高円寺から渋谷に引っ越した友人がふたりいるんですが、週に3回、高円寺の飲み屋に通っているんですよ。通うくらいならまた戻ってくればいいと言うんですが、「いや、戻れないです。もう、ここの街に住んではいけない」と。渋谷から来て終電で帰るんですよ。

みうら:でも1回出て、外ではばたいてもらって、戻ってくる人がいないと。

佐久間:高円寺にずっといると、負け犬の街とか言われたりするんです。あとはステップ台の街とか。

みうら:うーん。というか、僕は源泉かけ流しがある温泉地みたいな感じで思っています。ものすごくいろんなものが湧いているんですよ。それをどう活かすかがわからないだけで。だから「あそこはすごくいい源泉かけ流しだ」って、1回外に出て言いふらしてもらえばいいんです。地元の人は源泉かけ流しが普通だと思っている。で、ずっと浸かっているから、湯あたりするんですよね(笑)。

佐久間:(笑)。湯あたりしている人、いっぱいいるかもしれません。

みうら:とにかく、フェスというのが今、本当に多いから。10数年前は新しい言葉だったと思うけれど、やっぱりここはオーソドックスに「大学」と言うほうが長いことやってる感じもすごく出る。高円寺大学は試験なし。「住めば即、入学!」(笑)。

―キャッチーですね(笑)。

みうら:普通の大学に受からない人だって、「高円寺大学に行ってたんだ」って言えるし。全然知らない大学に行くよりは、高円寺大学のほうが名が知れてますよ、きっと(笑)。となると、受験祈願とかでも人が来ますよ。

高円寺はタモリ倶楽部に出てるっぽい人のいる街

―そういう受け入れ体制もちゃんとしていかなきゃいけないですね。さて、高円寺フェスの未来も見えてきたところですが、最後に、先程ちらっと出たサイケ・デリーさんのことや高円寺の街のことについても少々お願いします。

みうら:審査のときは、プレゼンがしっかりしている人がいっぱい出てきたんです。で、最後にサイケ・デリーさんを提案したお姉さんが「私なんか選ばれないと思いますけど」という感じで出てきたんですよ。いいなと思っていたら、最後に「ロッケンロール」とつぶやくように言ったんです。それでますますいいなと思ってね(笑)。審査会議のとき、即、「もう、デリーさんですよね?」と言ったら、商店街の方も「そうですね」と(笑)。

―その後、佐久間委員長のもとでいろいろとグッズが開発されています。立体もあります。

みうら:知ってます、知ってます。1回、自分がやってた、ゆるキャラの番組にも来てもらいました。いいですよね、高円寺らしくて。

佐久間:でも人気は出ないですね。嫌われるほうが多いかな。

みうら:いや、ゆるキャラってそもそも人気が出るものじゃないんです。キャラなのにゆるいということで、水と油の関係の言葉を作り出したにも関わらず、2010年に始まったグランプリ以降、売れるとか人気が出るとか、そこばっか。おかしなことになってしまったんです。でも、そもそも「なんだこれは?!」というものが一番ですから。逆に人気なんて出ちゃダメですよ、僕の定義としては。

佐久間:本当ですか!そう言っていただけると。

―むげん堂さんともコラボしてTシャツを出したりしてるんです。

みうら:そうそう。むげん堂さんが送ってきてくれましたよ。むげん堂の方は、もう美大生の頃から知っていて。あそこの『仲屋むげん堂通信』というのをもらうのだけが楽しみでよく学生のとき行ってたんですけれど、買い出しに関するコーナーがあって、インドに買い物に行ってたりするんだよね。それをなんかぼーっと読んでた気がする。だからつまり、むげん堂に置いてぴったりな物が高円寺にぴったりなんですよ。むげん堂に置けないようなものはダメですよね(笑)。むげん堂の方たちが気に入るサイケ・デリーさんは本物ですから。

佐久間:そういう意味では、うまくマッチングしました。

―今でも、むげん堂さんとかには来ることはありますか?

みうら:むげん堂と、その横のレコード屋さんのRAREにはたまに寄りますよ。最近も、全然興味ないけれど、黒木憲のこれ買ったんです。RAREでレコードを物色していたら、見つけたんですよ。“エマニエル椅子”に座ってる歌手をずっと探していて、ずいぶん集めたんだけれど、黒木憲という人までが座ってるとは気付かず、見逃していました。ま、でも、当然中は聴いてない。開けてもいない(笑)。

―(爆笑)。

みうら:この“エマニエル椅子”ですが、これ、嘘なんですよ。後ろの部分が大きいでしょ。本当のエマニエル夫人って、こんなに大きくないやつに座ってるんです。なんか、伝来ミスでこうなっちゃってるんです。その誤報がおかしくて集めてるんですけれどね。

―それだけの枚数のレコードを探すのも大変ではないですか?

みうら:いや、もう何十年もやってますから、匂いというのがね(笑)。

―瞬時に、これだ、と椅子が見えるんですね。

みうら:そう。本当は「要らねえな」と思うとこがまたいいところで(笑)。これに2000円近く出すって嫌じゃないですか、フツー。

―結構するものなんですね。ちなみに買われたのは最近とのことでしたが、いつ頃ですか?

みうら:8月の終わり頃ですね。RAREの方には「領収書ください」ってちゃんと言いました。

―(笑)。

みうら:“バカレコード”というのを始めたものの、自分で自分の首を絞めたんですよね。高くなっちゃったんですよ、こういうものが。だって、これが2000円近くするってありえませんから、昔は。

―それが30年くらい前でしょうか。

みうら:そうですね、もっと前ですね。結局、高円寺には3年くらいしかいなかったわけですが、中央線沿線というのは、ずっと筋を通してますけれどね(笑)。

―我々は観光の切り口でこの高円寺を発信したいと思っているのですが、みうらさんがお住まいだった頃の高円寺と比べても、外国人なども多くやって来るようになったと思います。

みうら:でも、もう爆買いの人じゃないでしょ?

―そうですね。

みうら:落ち着いてくるとね、サブカル好きな外国人も来るんですよね。タランティーノみたいなセンスの人達が、今は高円寺に来てるんじゃないですか。だから、そういう人たちにこういうもの(日本の中古レコードなど)をもっと紹介して、その人たちだけに高く買ってもらえればいいですよね。爆買いには飽きてるんだから、当然次はサブカルに来ますよ。それが人類の進歩と調和ですから(笑)。

―マニアックなレコードを求める外国人観光客は一定数いるみたいです。

みうら:それは、僕たちも昔、香港とか韓国に行ってレコードを爆買いしてたのと同じだから。それに、“エマニエル椅子”だから(笑)。書いておけばわかると思うんです。まだそこに気付きはないから。こういうことを言っているとまた値段上げられて、僕の首が絞まるんですけれども。こういう一見価値のないものに付加価値をつけるということも、高円寺の良さだと思うんですけれどね。

―おお、高円寺の良さですか。

みうら:なんか世間的には「タモリ倶楽部」に出てそうな人が高円寺フェスをやってるという感じでしょう、きっと(笑)。大槻君もきっと、出てそうな人にくくられているんですよね。

―え、そうなんですか(笑)。

みうら:「タモリ倶楽部に出てそうな人、出没の街」とか、キャッチフレーズにされるのもよいかと(笑)。けっしてタモリさんじゃないところがおもしろいですよね(笑)。

高円寺フェス2018で行われる「みうらじゅん・いとうせいこう トークイベント」の観覧チケットを抽選で2組4名様にプレゼントします。希望される方は、下記のお問い合わせフォームよりお申し込みください。
https://www.chuosen-rr.com/contact/

お問い合わせ内容の欄には次の事項を明記して送信してください。

  • 「みうらじゅん・いとうせいこう トークイベント」観覧希望
  • 氏名(ふりがな)
  • 電話番号

 

締切:10月22日(月)12時
当選発表:当選された方には、担当者より返信させていただきます。当日受付にてお名前をフルネームでお申し出ください。

「みうらじゅん・いとうせいこう トークイベント」の概要は下記をご覧ください。
http://koenjifes.jp/event/live1/

観覧チケットの抽選は終了いたしました。多数のご応募ありがとうございました。

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※本記事に掲載している情報は2018年10月12日公開時点のものです。閲覧時点で情報が異なる場合がありますので、予めご了承ください。