荻窪の居酒屋・鳥もとの名物大将に聞く(前編)

居酒屋ファンで荻窪の鳥もとを知らない人はもぐりでしょう。歴史、雰囲気、そしてもちろん酒に肴…居酒屋としてのこのお店の魅力は数多くありますが、しかし何と言っても「名物」は、大将の伊與田康博さんその人です。一度会ったら忘れられないパンチパーマ姿。一度聞いたら必ず脳内でリフレインしてしまうダミ声。その強烈な第一印象の反面、心遣いは非常に繊細で何事においても直球で全力勝負。今回、そんな鳥もとの常連で、本サイトではしご酒の連載を担当した倉嶋紀和子さんに聞き手をお願いし(もちろん飲みながら!)、伊與田さんにあれこれ話を伺ってきました。それにしても、こんな居酒屋の大将、ここにしかいませんよ。

鳥もとに勤めて20年

倉嶋:大将、改めまして今日はよろしくお願いします。まずはお店の歴史からお聞かせください。

大将:ボクの聞いている話では、戦前からお寿司屋さんをやっていて昭和26年に焼き鳥を1種類か2種類出し始めて、寿司屋を辞めて焼き鳥屋に変わったのが昭和27年の9月ごろだそうです。まあでも、ボクの生まれる12年前のことだから、詳しいことはわかりませーん(笑)。

倉嶋:(笑)。お寿司屋さんだった店舗は、現在の場所へ移転される前にあった旧・鳥もと本店と同じ駅前ですか?

大将:はい。駅の横だったんですけど、1回火事になって建て替えたらしいです。ボクが勤めるちょっと前ぐらいの時に、2階のお座敷になっていたところを直したりしたとか。

倉嶋:井伏鱒二さんなどの文人の方が来店されていますよね。

大将:井伏さん、ボクは直接お会いしたことはないんですけど。奥の席にいつも座っていたらしくて。

倉嶋:大将はおいくつの時から鳥本さんに入られていたんですか。

大将:31歳の時ですね。もう20年。初代の人がおりまして、2代目は初代の娘さんの婿に入った方。3代目がボクの叔父で、その叔父さんも5年前に亡くなりました。今の社長はその奥さん。お袋の妹、叔母ですね。その叔母が4代目です。ボクは3代目の時に勤め始めました。

倉嶋:鳥もとさんに入る前は何をしていらしたんですか。北海道ご出身でいらっしゃいますよね?

大将:はい。自営業で、トラックで海産物や野菜を運んだりする運送業をやっていました。そして東京の前に栃木に出て水道関係の仕事で重機のオペをやったりしていたんですけど、借金もあったもんでこれじゃあ払っていけないと思ってね。その時にちょうど叔母が、人が足りないから来ないかって言ってくれて。それがきっかけなんですよ。

倉嶋:現在の場所へ移転されてからは何年ですか。

大将:もう7年になりますね。駅にあった本店がなくなる4日前に新聞に出ました。平成21年の8月25日。29日でお店を閉めて、30、31の2日間でお店をスケルトンにして、受け渡し。

倉嶋:(その新聞を読みながら)以前の駅前の店舗、オープンテラス方式って書かれてますね(笑)。

大将:オープンテラスっていうか掘立小屋(笑)。屋台を大きくしたような感じ。以前の店は、ボクが働き始めた時には奥が共同トイレで、隣に果物屋さんがあって、その隣に中華屋さん。曲がって饅頭屋さんがあって。共同トイレは関東バスの運転手さんとかも利用していた。まあ、朝行ったらまずはそこの掃除なんですよ。すごくきれいなときと、なんじゃこれっていうとんでもないときがあってね。

仕事の基本はとにかく掃除

大将:最初は何の仕事をやっていいかわからないから、まずは掃除から始めました。串打ちとかも少しずつやったりしていたんですけど。オープンテラスだから風がすごく入ってきて、ほこりもすごい。店全体が、本当に飲食店でいいの?! っていうぐらいの汚れ方をしていたんですよ。雨の日なんか2階に上がる階段のすべり止めのところが油で目詰まりしているもんだから、お客さんの足元が濡れていたら、上からダダーって落ちて来るんですよ。

倉嶋:(笑)。

大将:なんだこれ?! と思ってね。それで、お客さんが食べた後の串で溝のところを削るようにして油の固まりを取って掃除をしたりしました。あとひどかったのは、梅雨の時期になるとダクトの上から落ちてくる油の固まり。せっかく手を掛けた串もの全部が廃棄ですよ。これはダメだと思ってね。どうしたらいいかなと思って、農作業とかに使うような草刈鎌を近所の金物屋さんに頼んで、その棒だけじゃ足りないからさらに棒を追加してしばって、それに引っ掛けて油の固まりを掃き出すように掃除したりしました。

倉嶋:それはすごい。

大将:昔は朝の10時から営業してたから、8時半か9時ぐらいに店に入って、ラストが深夜12時で後片付けしたりして帰るのは1時。朝掃除する日は、2時間ぐらいしか寝ないで5時ぐらいに来て黙々とやっていました。それはすべてお客さんのため。なんぼ慌ただしいお店でも、食べものを扱ってるんだから最低限のことはやらなきゃと思って。そうしたら常連のお客さんが「お兄ちゃん、こんな朝早くから何やってんの?」って。汚いから掃除してるって言ったら、こんなことやってる人いままでいないぞなんて言われてね。酒屋さんからも同じこと言われましたね。

倉嶋:駅前のお店時代の共同トイレのことはすごくよく憶えています。

大将:水を出すのが吊り皮でね。

倉嶋:そうです! 懐かしい。上から引くタイプの。

大将:それが取れてたりとかねえ。外れて水がジャージャー漏れていたこともありました。まあ、いろんな雑用が増えて…。何を考えているんだか、下着がそのままトイレに流れて詰まって水があふれちゃったりしたこともね。えらい目に逢いましたよ。女性用の下着だったけど、なんで脱いじゃったかね(笑)。

倉嶋:(笑)。私は綺麗だった印象が強いです。大将が一生懸命掃除してくれていたおかげですね。

引越しをして強面キャラに?!

倉嶋:ここ(現在の本店)に移るという場所決めは前からしていたんですか。

大将:引越しする2年か3年前だったかなあ。亡くなった先代の社長が、ここの33坪更地の空地を買っておいてくれて。駅の周辺でいい所が見つかれば移動しよう、とりあえずそこでやろうかっていうことでね。建物もプレハブみたいな簡単な作りなんですよ。先代の社長には感謝ですね、これを残してくれて。だけど駅の横という特等地に比べるとここは路地裏でわかりにくいところだったもんですから、本当に苦労しましたよ。

倉嶋:常連さんでも、ここまでたどり着ける方とそうでない方といらっしゃいましたか。

大将:そうですね。移転当初は、それまでと比べて5分の1から6分の1ぐらいにお客さんが減ったかな。

倉嶋:でも大将、今ではテレビにもたくさん出てて。

大将:テレビはこの5年半で16本ですよ! 最近は人相が悪いような感じでとかお願いされることも増えてきました。そうすると「メガネを色つきのに変えてこようか」って色つきのに変えて、それで見た目の柄の悪さランキングで1番になっちゃったり(笑)。

倉嶋:第一印象そのまんまですから(笑)。

大将:事務所で放送を観てみたら、自分でも「わっ、これはすげえ柄がわりいや」と思ってね(笑)。これはだめだ、最悪だと。登場の時のBGMは『仁義なき戦い』のテーマソングとか(笑)。

倉嶋:そして、その胸につけている「危険人物」って(笑)。

大将:ああ、これね。ドン・キホーテで見つけて来たんですよ。パーティーグッズのところで。ちょうど店の電球の球が切れて買いに行ったときにパーティーグッズのところをちらっと見たら、「危険人物」。なんだこれ、俺にぴったりじゃん! そこで買い漁ったら発売中止になったので、ネットでまとめて買いました。他にも「燃える下心」とか、独身だから「婚活中」とかつけてるのよ。

倉嶋:それから大将の顔のイラストが入ったジョッキ。あれはどうやって?

大将:アサヒビールの、今は神戸の支社長かな、その人が東京にいたときに「普段から当社にイロイロしてくれているので似顔絵入りのジョッキでも作りましょうか」って。何言ってんだって言ってたら本当に作ってくれたんですよ。これは、アサヒの看板のスーパードライって商品名が入っているでしょう。そこに、うちの屋号と自分と弟の似顔絵。日本初のジョッキですよ。

直取引で最高の魚を仕入れる

倉嶋:鳥もとさんと言えば、今では海鮮も美味しい焼き鳥屋として有名です。

大将:今までやってきた焼き鳥の味は絶対に壊さないように存続させながら、1品料理で作り置きしておくつまみを入れたかった。それは、お客さんが来なくて回転が悪かったから。それで何をやっていいか途方に暮れて悩みに悩んでいたとき、たまたま後輩とある寿司屋に行ったらそこで焼き鳥を出してた。大して美味しい刺身も出さないくせに、何が築地直送だ馬鹿野郎、と思ったんだけど、ああ、これの逆をやればいいのかと閃いた。なんでも美味しい海産物もおくべ! と。居酒屋みたくなっちゃうかもしれないけど、そこらの店とはちょっとちがうぞと。

倉嶋:そこで大将の故郷の北海道とつながるわけですね。

大将:美味しいものをお客さんに安く提供するにはどうしたらいいか。先代の社長の「財布にやさしい料金」という信念があるからね。ボクは北海道の音別出身、魚屋にも勤めていたし、車で魚を運んでいた関係もありましてね。築地じゃなくて産地直送。業者を通さないで流通のシステムを壊すような感じで、安く仕入れて安くお客さんに出そうと。場所が悪くても美味しいものを提供していたらお客さんは絶対に2度、3度来てくれる。接客態度は日本一悪いお店だけど(笑)。

倉嶋:珍しい鮭児なんかも、大将が北海道時代に築いた人脈で…。

大将:そうですね。漁業組合にお願いしてね。去年は鮭児を35尾まとめて買ったね。しかも1番高値で取引される北海道の知床半島で獲れる鮭児。

倉嶋:35尾も!! 鮭児を仕入れるのは大変なんですよね。

大将:普通の人は大変でしょうね。手に入らないというか、1万本か2万本に1匹しか獲れないし、競り合うから金額がえらい高い。だけどボクはその値段では買わないで、「幾ら幾らでちょっと集めれ」って。築地だったら800万ぐらいする鮭児を180万で買っちゃった。

倉嶋:大将の言い値なんだ(笑)。斬新すぎる。

大将:はい、鮭児、マツカワカレイ、マスの介。これ三種類集めて出せる店は日本中探したってウチしかないんじゃない? そのぐらい豪語できる。

倉嶋:いただきます。

大将:臭みは全然なし。

倉嶋:わさびなしでもいいんですか。

大将:好きなように。塩で食べても。その塩は「阿波乃華」って四国の徳島から仕入れてるの。1キロ1万800円する塩。最高級ですよ。

倉嶋:鳥もとさん、どうやって経営成り立たせているんだろう…。

大将:仕入れ価格を叩けばお客さんに安く出せるわけでしょ。脅かしちゃえばいいから(笑)。まあでも、損することはしてないから。他の商品で帳尻合わせたりして。

後編へ続く)

鳥もと本店
住所 杉並区上荻1-4-3
電話 03-3392-0865
営業時間 月~金13:00~24:00、土12:00~23:30、日・祝12:00~23:00
定休日 盆、年始2日ずつ休

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※本記事に掲載している情報は2016年07月01日公開時点のものです。閲覧時点で情報が異なる場合がありますので、予めご了承ください。