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阿佐ヶ谷の芸能事務所・タイタンの太田光代社長に聞く

人気お笑いコンビ「爆笑問題」などが所属する阿佐ヶ谷の芸能事務所・タイタン。今回は、その代表取締役社長を務める太田光代さんのロングインタビューをお届けします。1993年の設立以来、仕事をする場所として、また生活をする場所として阿佐ヶ谷を見つめ続けてこられた太田さん。そんな方ならではの独自の観点から、この阿佐ヶ谷という街の魅力やポテンシャルについて語っていただきました。(インタビュー協力:阿佐ヶ谷飲み屋さん祭り実行委員長・森口剛行氏、撮影協力:一番街「バルト」)

京王線沿線から阿佐ヶ谷へ

—このたびはお忙しいところありがとうございます。早速ですが、まず、事務所を阿佐ヶ谷に設立した経緯から教えていただけますでしょうか?

太田:そもそも会社を始めるのにハコを作る場所を考えなきゃいけなかったわけですね。立ち上げた1993年当時は、自宅兼事務所みたいな感じでしたが、やっぱり都心に近いところじゃないと、打ち合わせにいらっしゃる方が不便なんです。それで色々探した結果、まず阿佐ヶ谷は家賃が安かったんですよ。最初、阿佐ヶ谷って三鷹寄りのイメージで、新宿から離れている印象があったんですが、実際はそうでもない。当時は中央線の快速も土曜に停まっていましたし(編集部注:現在、土・日・祝は中央線快速は阿佐ケ谷駅に止まりません)。

—そうなんですか。

太田:はい。今は停まんなくなっちゃって、すごく不便(笑)。ま、土曜だからいいですけどね。今は、まあまあ家賃は上がってますものね。でも当時は、群を抜いて安かったんですよ。

—そんなに強調するくらい安かったのですか?

太田:はい。都心の割には。

—ではもともと馴染みがあったわけではないんですね。

太田:全然。南阿佐ヶ谷に、鷺ノ宮に住んでいた(爆笑問題の)田中のバイト先のミニストップがあって。そこで私も少しバイトしてましたけれど。

—あ、あのミニストップ!今もありますね。

太田:はい。当時はそのミニストップが、全国でも売り上げが3位とか5位に入るような、忙しいお店でした。

—そうだったのですね。

太田:最初は自宅兼事務所だったわけですが、打ち合わせするのに喫茶店とかだとよろしくないので、やがてきちんと事務所という形式の場所を借りようということになりました。そうなると駅のそばがベストで、ちょうど駅から1~2分のところに物件があったので、そこの一室を借りました。

—今はそこから移転されていると思いますが、その移る前のところにずっといらっしゃったのですか?

太田:そうです。私はそれまで、京王線沿線しか住んだことがなかったんですよね。それで、何となく京王線から出るのが怖かったんです。中央線って、今はだいぶ変わってきたような気がしますけど、過去はちょっと怖いイメージがありました。越してきたばかりのとき、駅北口のフィットネスクラブのトーアさんのちょっと先に呼び込みの黒服のお兄さんが立っているような店があったりして(笑)。

—そんなところがあったんですか?

太田:もう住宅街にさしかかるっていう場所で、ネオンがすごいんですよ。何でこんな街なかにって。まず京王線沿線ならありえないので。今はそういうお店は駅前周辺にしかないじゃないですか。

—阿佐ヶ谷に来たばかりの1993年ごろは、そういう危険なにおいのする印象…。

太田:京王線の場合は、田んぼだったところをきれいに作っていった新しい沿線なので、もともと規制があるんですね。だから、お店が閉まるのも早いですし。だけどこっちは、どちらかというと繁華街に近いじゃないですか。商店街もいっぱいあるし。便利は便利ですよね、すごく。だけど、最初のうちはちょっと怖いなという感じ。近所の公園で乱闘があって、警察が来るっていうような。

—京王線沿線との差はそういう繁華街的なところということですね。

太田:京王線と比べると、中央線は、やっぱりなんというか「やんちゃ」な感じ。中野や高円寺なんかも、そうですしね。

—「やんちゃ」(笑)。確かにそうかもしれません。

太田:京王線は、いい意味でいうと環境がいいんですけど、気取ったというか、おとなしいイメージですよね。

—京王線にはまだわりと高級なイメージもありますよね。

太田:醸し出してますよね。特に笹塚あたり(笑)。ただ、私はそもそも京王線の中河原に住んでいたのですが、そこは府中の先で田んぼしかなかったんですよね。その前は明大前で、そこは今とほとんど変わってない都会だったんですけど、中河原に引っ越した子供の時は、もう周りには田んぼしかない。平屋の駅で屋根もなかったし、周りが全部田んぼだからうちの団地からその駅の様子が丸見えなんですよ。で、反対側を見ると小学校。ホントに何にもなかったんです。

—なるほど。

太田:虫も多くてカエルが大合唱してるし、明大前という都会から、まあ、なんてとこに来ちゃったんだろうって、そのときはショックでした。でも、最初はイヤだったんですけど、だんだん慣れてくると、自然も多いし多摩川もあって、子供時代は環境のいいところで育ったなーって感じです。それからその後、初台で一人暮らしを始めて、そのあと代田橋、笹塚と引っ越しました。そこから、こっちに来るわけですけど。

—そこから、阿佐ヶ谷へ。

太田:はい。だから、かなり勇気が必要だったんです。

—勇気、ですか。そんなに違ったんですね。

太田:だから、できれば京王線沿線で探したかったけど、新宿から近いところは家賃が高かったんです。

—阿佐ヶ谷に事務所を置いて良かったこと、または逆に阿佐ヶ谷じゃない方が良かったことはありますか?

太田:芸能プロダクションって、赤坂だったり青山だったり、あるいは代官山とか渋谷とか、圧倒的にそういうところが多いんですよね。ただ、私の考え方では、交通の便さえ悪くなければ、どこでもいいと(笑)。むしろ、阿佐ヶ谷で打ち合わせした後、みんなで飲みましょうっていうときに、わりと皆さん好んで来てましたからね。初期から中期くらいまでは。

—打ち合わせなんかで来て、そのまますぐ近くに繰り出すみたいな…。

太田:そのまま。ちょっと飲みに行って親交を深めるっていう。赤坂とか青山だと業界の人だらけで、スクープを狙っているような方に聞き耳を立てられちゃうんで気を付けて話さないといけないんですけど、阿佐ヶ谷には、そういう人たちはいないですから。あとは、ホントに便利で。朝までお店やってますしね(笑)。

—ええ、やってますね(笑)。

太田:最近はちょっと年齢的に疲れが出てきたんですけど、会社を立ち上げた20代のときや、30代くらいまでは、飲んでても全然疲れませんでした。

—すごいですね(笑)。本当にもう、満足されている、と。

太田:そうですね。結果的には一番長く住んでる場所になりましたからね。家も買いましたし。通勤に時間をかけるのは無駄だなって思って。

—合理的ですよね。それにしても、芸能という華やかな世界で、働く場所と住む場所が一緒で、しかも中央線のエリアというケースってほぼ無いだろうと思うのですが。

太田:無いですよ!でも、今は移動は車ですしね。昔は電車でパッと移動してたけど、今はもう完全に車です。だから、どこにいても同じ。逆に自宅についていうと、社長さんなんかは、郊外にいらっしゃる方も多いんですけど、阿佐ヶ谷は、そもそも郊外との中間地点みたいな場所じゃないですか。

—確かにそのとおりですね。

太田:最近、事務所を移転したんですけれど、それは隣の土地が空いて、地主さんに買わないかって言われたのが最初で。でも、買うとなると子供がいないので血縁が継ぐ訳じゃないし、後の人が阿佐ヶ谷で続けてやるかどうかもちょっとわからない。それで結局、地主さんがウチ仕様に一棟貸しに作ってくれました。名前もタイタンビルってつけてくれたんです。

—はい、タイタンビルって書いてありましたね。

太田:そう、まるで自社ビルみたいで(笑)。なので、移転案内のハガキを出すときに何も補足しないと、記者さんが良かれと思って「自社ビル設立」って書いちゃう可能性があったので、「タイタンビルとなっていますが、オーナーさんのご厚意でタイタンっていう名前をつけて下さっただけで、自社ビルではありません」と書いたハガキを送りました(笑)。じゃないと、絶対そう思われますからね。

阿佐ヶ谷の街との関わり

—若手の芸人さんたちもこの辺りに住んでいるという話を聞いています。

太田:そうですね、やっぱり近い方が便利ですし。

—ライブも、阿佐ヶ谷界隈でやってらっしゃることが多いのですか?いくつか阿佐ヶ谷の小劇場でもやっていただいてますよね。

太田:そうですね。ただ、事務所の家賃にお金をかけない分、ライブ自体は都心でやりたかったんです。最初の「タイタンライブ」を銀座のソニービルから始めて、その後、銀座の時事通信ホールに場所を変えたんですが、それはお笑いというものを大人の人に見てもらいたかったからです。で、割と成功して、TOHOシネマズさんと共同でやっている「爆笑問題withタイタンシネマライブ」という全国中継するイベントに発展していきました。もう20年以上続けてるライブです。それに伴う若手の育成のためのライブとして、「タイタンライブ・レア」をザムザさんで、それと「タイタンライブU40」というのをプロットさんでやっています。

—ローカルな劇場でライブをされているのはある種の地域貢献のようなイメージを持っていたんですけど、そういうことはないですか?

太田:ああ、そこはあんまり考えてないですね。ただ、私が引っ越してきたとき「阿佐谷ジャズストリート」がこれからっていうときで、ハロウィンイベントもまだやってなかった時代ですが、ハロウィンの方は、途中から「どうなるんだろう」と思って、立ち上げにちょっと関わったりすることはありました。

—そうだったのですね。

太田:住んでいれば街の歴史なんかにも興味が出てきますから。阿佐ヶ谷は文士が多く住んでいた街って言われていたり、有名な漫画家さんもいたりとか、文化的な場所だなって。でも、最初はやっぱり怖いという印象と、近所の人にライブを見せてもしょうがないかなって(笑)。あとは招待客を呼ばなきゃいけない手前、ここまで来るかなっていうのはありました。ただでも、ディレクターさんとかはこっち側に住んでる人も多いので、来てくれたりしましたね。

—おお、そうなんですか。

太田:テレビ局の偉い方はそんなにいないですけど。ディレクターさん、ちょっと演出的なことをやる方は、例えば武蔵境あたりに。だから途中下車で寄れる、みたいな方ですね。そういう人には見てもらいたいので、その意味では、ここら辺でやるっていうのは価値はあるかな。ところで「阿佐谷ジャズストリート」はいつからでしたか?

—1995年からですね。

太田:そっか、住み始めたばかりの頃はまだやってなかったんですね。どこかのタイミングで今年から始まるって聞いて、「どういうふうにやるんだろう」って思った記憶があります。ジャズの店は何軒かあったから、そういうお店だけでやるのかなって思ったら、喫茶店とか公民館を開放したりとかね。私は関わっていないけど、見ていると、2回目3回目で、だいぶ、いろんな試みを皆で一生懸命考えてるなというイメージがありました。だんだんチケット制になったり、どこでも入れるフリーパスが出てきたり。マップを配ったりね。

—結構、見てらっしゃるんですね。ところでハロウィンにはどう関わられていたのですか?

太田:最初の頃、手伝ってもらえないかって言われて、若手を出したりしましたね。で、どんなもんかなって思ったら、こじんまりしてたんですよ。まあ、でも子供たちのためにはいいかな、と。今ほどの規模になるとはちょっと思わなかったですけど(笑)。

—これは2001年にスタートしています。

太田:ジャズストリートがちょっと見えてきた感じの頃。

—確かにそうかもしれないですね、タイミング的に。ではそこに、若手の方がちょっと関わったりして…。

太田:「どういうやり方がいいんでしょうかね」とか、運営側の方からちょっと相談されたりなんかして。でもそのとき、私はかなり忙しくて、ガッツリ関わることはできなかったので、乗っかってはみたものの…っていう感じかな。それにしてもハロウィンって、今は全国的になってるじゃないですか。そういう意味では、阿佐ヶ谷は取っ掛かりが早かったと思います。

—今は、若手の芸人さんの方々と街の関わりって、ライブのほかに何かあったりしますか?

太田:今、いくつか相談されてることは、あります。自治体からのご相談をいただくことは割とありますね。

阿佐ヶ谷の個性とは

—これから阿佐ヶ谷を舞台に何かやってみたいことってありますか?

太田:ええ、あります。ただ、予算取りをしないとエンターテイメントってできないんですよ。

—もちろん、そうですよね。

太田:予算さえあれば、阿佐ヶ谷って、ちょっとドラマティックというかドラマ的な街だと思うので、阿佐ヶ谷を舞台にして、例えば民放のCSやBSの深夜枠でも、どこかで番組みたいなものを一緒に作れるといいなと思っています。

—テレビ番組でのドラマの舞台、ですか。

太田:そうすると宣伝になるんですよね。

—それは相当なりますね。

太田:木更津がまさしくそれだったんじゃないんですかね。「木更津キャッツアイ」。あと阿佐ヶ谷はお店も多いし、今、食べ物系のドラマが流行っているので、そういうのをやってもいいのかな、と。まあ、いろいろやり方はあるんですけど。

—例えばドラマを30分枠で撮ります、となったときに、もちろんピンキリだと思うんですけど、いくらぐらいお金があればできるものなのでしょうか。

太田:う~ん。ワンクール10本として、やっぱり最低でも何千万円単位には当然なってきちゃいますね。でも広告費を払うっていうことを考えたら、ドラマとして放映してDVDを出すとか、ドラマの中に登場したお店や場所を本にして発売するとか、回収方法はいくらでもあるんですけども。

—確かにそうですよね。

太田:やっぱり、ドラマとして定着させて、それが当たってくれると何倍も回収できるんです。ただそれには、脚本家もいるし、役者もいるし、技術スタッフも動かなきゃいけないし…って言ったら、そりゃもう、やっぱり抑えてやっても数千万円はかかりますね。ただそれでワンクール10本から11本はできると思います。阿佐ヶ谷って、なんか興味がそっちの方にあるような街だと思うんですよね。

—なるほど、舞台として映えるというか。

太田:何かモノを作るっていうときに、ただお店を紹介してるだけでは良くなくて。やっぱりキチンと作り上げたものを見せないと。しかも、それが阿佐ヶ谷らしくなってなきゃいけないから。例えばある実在の店を舞台にするなら、そこのご主人の役をやる役者さんが必要だし、でもご主人の雰囲気を出さなきゃいけないしとか、この店にどういう人が集まるかっていうのも、役者さんで表現しなきゃいけない。やっぱりそうしないと伝わらないんですよ。本物を出すと、不自然になっちゃうから。ただ、映画はちょっとね。アニメ以外は、なかなか当たりにくいですね。

—そういうものなのですね。ちなみに杉並はアニメの制作会社が多いので、阿佐ヶ谷が少し出てくるというアニメ作品はありました。やっぱりぜひ阿佐ヶ谷を舞台にドラマを…。

太田:そうね~。色んなものが重なって実現できそうな気はしますけどね。

ところで阿佐ヶ谷をドラマティックな街っておっしゃいますが、どういうところにそういうものを感じられますか?

太田:(少し考える)まあ、みんな意見持っているってことですよね。結局ね、みんな意見持ってやっているから、イベントなんかでも、最初どうなのかなって思って見ていても、なんとかしてるんじゃないんですかね。結構、こらえ性があるっていうか。

—こらえ性。

太田:普通はどっかのタイミングで、ダメってなって止めたりするんですよね。続けることって、すごい大事なので。

—そうか、こらえ性がある街(笑)。それは面白い視点です。

ストレス発散の場としての阿佐ヶ谷の飲み屋

—太田さんは色々と飲み歩かれるのがお好きということですが、阿佐ヶ谷でも特に好きなお店ですとか、ありましたら教えてください。

太田:誰かお客さんがいたら新しく入ってみよっかなっていうのもあるし、あとお店開拓するのは嫌いじゃないのですが、結局ひとりで飲むっていうときは、決まってきちゃうんですよね。決まったところの方が飲みやすいですし。

—この一番街が多いんですか?

太田:そうですね。こっちに来ることが圧倒的に多いですね。

—圧倒的に、ですか。

太田:はい。で、ここのところは、「なると」さんが居心地がよくて何回か行っていました。あと、このお隣の「うぶや」さんや、ここ「バルト」さんとか。一番街って月曜休みが多いんですけど、こちらはやってらっしゃるので。食べものも美味しいし。で、あと、もともと行ってたのが、「だいこんや」さん。「だいこんや」さんは座敷があるので、お客さんが来ると行ったりしますけど。そんなもんですかね。

—太田さんにとっての飲み屋さんって、どういう存在なんでしょうか。

太田:私の人生の中の、大きく占めている何かです。なんだろう、ストレス発散の場所ですかね(笑)。だから、レストランとお酒のお店を共同でやりませんかとか誘われるんですけど、それは乗れないですね。それを仕事にしちゃったら、私、どこで休んでいいのかわかんなくなっちゃうから。他人のご商売のところに、こっちは客として行ってストレスを発散させていただくっていうところかなあ。だから、私のストレス発散には、すごく阿佐ヶ谷っていいんですよ。いっぱいお店があるから(笑)。

—ご自宅で飲まれるよりも、やっぱりお店で飲まれる方が好きですか?

太田:家で飲んでると量増えますからね、ただ飲んでるだけだから。

—(笑)。

太田:飲めちゃうんですよ。だから「あれ、これ何本目?3本目か」って思っちゃうくらい、どんどん飲んじゃう。早いんですよ、人と話さないから。

—気付いたら3本飲んでたって、すごい(笑)。

太田:家で飲んでると体に良くないというのが、私の中の結論なんです。止める人いないし。

—(笑)。お店に来ている他のお客さんと話されたりはしますか?

太田:しますよ。ただ昔はね、そもそも私はタレントというか、そっちの方なんで、あんまり人と話さないでひとりで考えてるのが好きだったんですよ。

—そうなんですね。

太田:だから会社を始めた頃は、「だいこんや」さんなんかで、いつも端っこで何か考えてるような感じでしたけどね。だけど、まあなんか、それって空気悪いですからね。だから今は来るものは拒まずって感じで(笑)。

—これまでに阿佐ヶ谷の酒場で印象的だった人とかいらっしゃいますか?

太田:う~ん。色々な人が来てるなって思いますよ。遠くから来てるんだなっていう人もいますよね。途中下車の人もいるし。「まっすぐ帰ればいいのにさ」って自分で言いながら飲んでる人とか。電車無くなるとか言って(笑)。

—飲み屋さんでそういう交流は、おありになるんですね。

太田:お店がだいたい決まってるんで、顔見知りできちゃいますからね。

—家が近い以外に、阿佐ヶ谷で飲んでる理由って何かありますか。

太田:家が近いはね、かなり重要ですね(笑)。

—かなり重要(笑)。

太田:これが青山とかで飲んでいて、これから帰んなきゃなんないってなると、ちょっと…ね。

—それにしても、太田さん有名な方だから、飲むときはちょっと気が張ったりしませんか?

太田:いや、全然。あのね、阿佐ヶ谷の人って不思議で、例えば爆笑問題が歩いていても、放っといてくれるんですよ。阿佐ヶ谷は見て見ぬふりしてくれますよね。

—阿佐ヶ谷の人たちはタイタンも太田さんご夫妻の住まいも阿佐ヶ谷にあることを知ってるから、当たり前の風景になっている、ということなのかもしれません。

太田:いや、そういう雰囲気なんじゃないですかねえ。あんまりミーハーみたいなの、ちょっとカッコ悪いって思うかもしれない。

—なるほど。では本当に安心して…記憶を無くして飲めるような街でもあるってことでしょうか。

太田:う~ん。私、お酒が次の日に全く残らないんですよ。

—あ、そうですか。それうらやましいです。

阿佐ヶ谷をメジャーな街に

—20年以上阿佐ヶ谷で過ごされ、街の移り変わりなども色々見てこられたと思うんですけど、そういう中で街の印象はどう変わってきましたでしょうか。

太田:一番街について言うと、私が来たときはすごく寂しい時期だったらしいんですよね。その前は、やっぱり一番街というだけあって、すごく華やかだったのに。今では一番街もお店が増えましたし、かわばた通りの方も以前に比べてお店が若返りしてきたなという印象です。あとずっと見てきて、若葉のころの中杉通りというのは圧倒的に好きな場所です。ちょうど若葉が出てきて覆ってきたぐらいの季節、すごく晴れている日の中杉通りは、木漏れ日が素晴らしい。あの風景がいいですね。

—なるほど。そうしますとご自宅もありますし、極端な言い方ですが、死ぬまでずっと阿佐ヶ谷で過ごしたいなんていうようなことは思いますか?

太田:死ぬときは、子供もいないんで老人ホームかなあって思ってますけどね。会社もねえ、新しく一棟わざわざ建ててくれてるんで。やっぱり、しばらくはいますけど。

—太田さんが社長でいらっしゃる限りは、阿佐ヶ谷で…。

太田:まあ、できるだけそうですね。引っ越すメリットもあんまり分かんないので。引っ越すのだったら、もっと早めにやってますよね。それはねえ、よく言われてるの。なんで、どっかのタイミングで赤坂とか行かなかったの?って。でも、無意味だと思うんですよね。家賃が高いとか。

—今後この街がこうなっていったらいいんじゃないかという、何か応援メッセージみたいなものはありますでしょうか?

太田:あの、芸人なんかもそうなんですけど、マニアックが好きっていう人もいるんですよ。ただ阿佐ヶ谷はマニアックだからいいっていう感じもしないので、もう少し何かこう、メジャーになる方向で行った方がいいような気がしますけどね。マニアックで行くと狭くなりますからね、視野が。

—もっとメジャーに、ですか?

太田:そう。意識的にね。

—意識的に?

太田:うん。だって、こんなにすごくいいところがいっぱいあるのに、誤解されてる部分も結構あるので。

—太田さんとしては、この街がメジャーになっても全然構わないと思いますか?

太田:うん。メジャーになった方がいいと思いますよ。街の活性化も、それこそ今課題になっている部分なんかも、メジャーになんない限りは直らないですよ。メジャーになりさえなれば、あっという間に変わりますよね、多分。

—やっぱりメジャーになるためには、先ほどおっしゃったようなドラマとか…。

太田:まあ、私がやっている範囲で想像するとするなら、そうです。だけど、ただそれだけでもないと思うので。ここは、メジャーになってダメになる感じの街じゃないですね。むしろ、よりみんなが活性化されると思う。この一番街も「大人の縁日」というイベントをやってるんですよね。そのときには、色んな店が色んなものを出したりしてるみたいなので。これだけ店が多いから、商店街なんかも大変だと思うんですけど、「大変だけど一致団結してなんかやりましょう」という感じが、この街の良さですよね。なかなかできないから。

—なるほど、そうですか。

太田:ただ、せっかくやってるんだったら、それを、もうちょっとアピールできるようにしてあげないと自己満足みたいになっちゃうから。飲み屋さん祭りだって、世に出して全然恥ずかしくないですよ。いいアイデアだと思いましたもん。最初に聞いたときから。

—最後にありがたい言葉をいただきました(笑)。メジャーになってもダメにならない街、というのはハッとするようなご指摘です。本日はお忙しいところ、ありがとうございました。

バルト(阿佐ケ谷駅徒歩4分)

太田さんもよく訪れるというこの「バルト」は、インタビューでも話題に出た「阿佐谷ジャズストリート」が始まった1995年オープンのダイニングバー。店主の森谷さんがひとりで切り盛りするこの店では、ベルギービールやワインに合うカジュアルな洋風料理を楽しむことができます。ウッディな店内のあちこちに映画のポスターが貼られ、常連さんたちの書籍が並び、実に阿佐ヶ谷らしい文化的な薫りも漂います。中央線あるあるプロジェクトでは、英語メニュー設置にもご協力いただいています。

カウンターと店内中央に大きなテーブルが並びます。

カウンターと店内中央に大きなテーブルが並びます。

定番メニューをいただきました。自家製スモークチキン(750円)とイワシの香草パン粉焼き(400円)。グラスワインは500円から。

定番メニューをいただきました。自家製スモークチキン(750円)とイワシの香草パン粉焼き(400円)。グラスワインは500円から。

太田さんもここではよくワインを飲まれているとのこと。

太田さんもここではよくワインを飲まれているとのこと。

バルト
住所 杉並区阿佐谷南2-21-9
電話 03-3315-0751
営業時間 18:30〜26:00 日祝18:30~24:00
定休日 不定休